数寄について
Suki

数寄はもとも「好きの同意語で
風雅に心を寄せること

数寄者(すきしゃ)」とは、室町時代には和歌や連歌を好む人をさしたが、
安土桃山時代にわび茶が流行し、茶人をさす言葉になります。
その後、茶室を「数寄屋(すきや)」と呼ぶようになり、
好家(すきや)」であり、「空家(すきや)」ともあてられます。
岡倉天心は『茶の本』のなかで「茶室」を、人それぞれ好みの詩趣を宿す「好き家」、
美的感情を満たすために置くものの他は、一切の装飾を施さない「空き家」、
そして不完全を尊び故意に仕上げず、
見る者の想像の働きでこれを完成させる「数奇屋」と解説しています。

そこは富の誇示するような過剰な美はなく、簡素にして謙虚、静寂にして清潔、
大名も庶民も分け隔てなく美を崇めることに集中できる仮の家であり、
ありきたりの材料や均斉のとれていない配置に
美を見出す自由な美意識が展開する場なのです。
そして人の「好き」は人それぞれですから「数寄」は人の数だけ存在します。
わたしたちは、この自由で広がりのある「数寄」という美意識を
日本特有の伝統的な美意識として世界に広く伝えたいと考えています。

岡倉天心

文人、美術行政家。明治の美術行政全般を担い近代日本美術の発展に貢献した。世界各国で翻訳されている『茶の本』を著し、茶の概念を通じて日本の精神文化をつまびらかに世界に紹介した。フェノロサとともに日本各地の仏像などの古美術を調査・保護し、西洋に匹敵する日本文化の存在を主張した。東京美術学校(現・東京藝術大学)の事実上の初代校長であり、帝国博物館(現・東京国立博物館)の美術部長を務めるなど上野から世界に日本の芸術文化の発信に尽力した。近代日本における美術史学研究の先駆者でもある。ボストン美術館中国・日本美術部長として国際的な美術の啓蒙活動も展開した。